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京都地方裁判所 昭和52年(タ)15号 判決

原告(反訴被告)

甲野太郎

右訴訟代理人

坪野米男

被告(反訴原告)

甲野花子

右訴訟代理人

川越庸吉

戸倉晴美

主文

一  本訴請求及び反訴主位的請求はいずれもこれを棄却する。

二  訴訟費用は本訴・反訴を通じこれを三分し、その一を被告(反訴原告)の、その余を原告(反訴被告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴

1  請求の趣旨

(一) 原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間には親子関係が存在しないことを確認する。

(二) 訴訟費用は被告(反訴原告)の負担とする。

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 原告(反訴被告)の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。

二  反訴

1  請求の趣旨

(一)(1) 主位的請求

反訴原告(被告)と反訴被告(原告)との間には養親子関係が存在することを確認する。

(2) 予備的請求

反訴被告(原告)は反訴原告(被告)に対し金一〇〇〇万円とこれに対する昭和五三年三月一一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は反訴被告(原告)の負担とする。

(三) (一)(2)につき仮執行宣言。

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 反訴原告(被告)の請求はいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は反訴原告(被告)の負担とする。

第二  当事者双方の主張〈以下、事実省略〉

理由

一本訴について

1  〈証拠〉によれば、被告は戸籍上原告とその妻亡甲野由紀子の嫡出子として記載されているが、真実は、原告ら夫婦が昭和一八年四月三日京都市内の病院で出生した被告を実子として育てるべく貰い受け、原告らの長女として届出をなしたもので、被告は原告ら夫婦の実子でないことが認められ、これに反する証拠はない。

2  そこで抗弁につき判断する。

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告及びその妻亡由紀子は、原告が当時信奉していた宗教上の信条から、他人の子供をひきとつて育てようと考え、昭和一五年七月に甲野次郎を、昭和一八年四月に被告を貰い受け、次郎を長男として被告を長女として届出をなし、以来両名を実子として養育してきた。なお、被告の真実の両親は、原告らが貰い受けた当時から不明であつた。

(2) 次郎と被告は原告ら夫婦の愛情のもとで成育し、幸福な生活を送つていたが、由紀子は昭和二八年八月二日病死した。その後一年程して原告と乙原シズエが内縁の夫婦となつたため、被告らも乙原シズエと同居するようになり、乙原シズエが被告らの養育にあたるようになつた。しかして原告は鉄工所を経営していたこともあり仕事の方で忙しく、被告らの養育は妻生存中は妻に、乙原シズエと同居するようになつてからは同女にまかせきりで、あまり関与することがなかつた。

(3) ところで被告はいわゆる知恵遅れで知能が低く、七、八才頃までおむつを使用するなどしていたが、小学生時代は素直でやゝのんびりした性格を有し、とりたてて特異な行動もなかつた。もつとも勉学には身が入らず、学校からの要望もあり、義務教育は中学一年生までしか受けず、以後は自宅で家事の手伝いとか留守番あるいは原告の経営する鉄工所の使い走り程度の仕事をなしていた程度で、定職に就くとか自立のための訓練を受けるとかといつたことはせず、漫然と生活し、原告も又、被告の将来を案じてはいたものの、他人への迷惑を懸念する余り、職に就かせるなど自立への方途を講ずる努力を怠つた。

(4) ところで被告は中学生頃から反抗期に入つたことも手伝つて、しばしば原告に反抗するようになり、一八才の頃には三日程家出したり、二〇ないし二五才頃には行きずりの男性と家出をしようとしたことがあつて、原告にとつては被告が次第に重荷に感じて被告を疎んずるようになり、被告に「親に恥をかかさないうちに死んでくれ」と頼みこむことすらあつた。被告は原告のこのような態度に接して、ますます原告を恐れて避けるようになるとともに、感情の起伏は一段と激しくなる一方、事ある毎に被告をかばつてくれた乙原シズエにはなついた。もつとも原告と衝突したのは被告のみではなく、次郎も度々原告と口論することがあり、又高卒前後頃原告に反抗して家出をしたこともあつた。

(5) 他方、原告と乙原シズエの関係は性格的な問題や金銭上のトラブルから次第に悪化し、不動産の所有権の帰属をめぐつて争いが生ずるや、昭和四六年一月には乙原が原告を相手どり訴えを提起するまでに及び、同年九月には、原告は次郎とともに転居し、被告及び乙原とは別居するに至つた。その際原告は、被告は乙原側についているとして転居につき被告を誘わなかつたが、その後も原告から被告を引き取るとの申入れは全くなされず、被告と接触することもなかつたのみか、次郎を通じて生活費の仕送りはしたものの、それも昭和四九年か五〇年頃までで、以降は右仕送りもなくなつた。

(6) しかして前記訴えの提起後、原告と乙原間の争いはますます激しくなり、昭和五〇年には乙原の親族に対する原告からの同人所有の倉庫明渡の訴えが、昭和五一年には乙原と被告が居住している工場兼居宅につき原告が賃貸人山口健一郎との間で賃貸借契約を合意解除したことから山口から乙原に対する右建物の明渡の訴えが提起されるなど、関連事件につき相次いで訴訟の係属をみるに至つた。

(7) こうしたなかで被告が、原告と乙原間の前記訴訟において乙原側の証人に立つたことがあり、このことは原告をいたく憤慨させた。そうこうするうちの昭和五〇年か五一年頃、被告が次郎に金銭の無心をした際「兄さんの子供はどうなつてもよいのか」といつたり、その直後頃別居後初めて原告宅を訪れた被告が、金銭の要求をして原告と争つたり、ガラスを割つたり預金通帳を持ち出したり(但し預金通帳は被告がすぐ返還した)するなどのことがあり、乙原との訴訟の関係から被告を快く思つていなかつた原告は、被告との親子の縁を切るべく、一方的に京都家庭裁判所に調停の申立をなしたうえ、これが不調になるや親子関係不存在確認の本訴を提起するに至つた。もつとも原告は乙原が被告を利用していると思つており、被告が乙原との関係を絶てば、被告を引取つてもよいとの意向を示したこともあつた。

(8) 被告は現在乙原と同居し、乙原の親族が経営する酒屋の使い走り等の手伝仕事をして生活しているが、自活は困難であり、家事等をなしたり、日常生活を送るうえではさ程の支障はないものの、善悪の判断能力に欠けるところがあるなど、完全には目を離すことはできない状況にある。しかして被告は原告からの本訴提起にシヨツクを受け従前の明るさを失うとともに、現在乙原に迷惑をかけていることを心苦しく思い、原告が手を差しのべればこれに応じたいとの意向を有している。

(9) なお現時点において被告の実の両親を探索することは極めて困難である。

原告は被告が原告宅を訪れた際の被告の行動につき被告が全く一方的かつ突然に暴行を働いたかのように供述するが、何の原因もなく被告がそのような行為に及んだというのは不自然であるうえ、当日原告との間で何らかの悶着のあつたことを窺わせる〈証拠〉に照らしても、右供述は直ちに措信しがたく、又右認定の事実以外に被告の非違を指摘する原告の供述部分は、具体性、明確性に乏しく推測にわたるなど、これ又にわかに措信しがたい。しかして、右認定の事実に反する被告の供述部分も〈証拠〉に照らしにわかに採用しがたく、他に右認定を覆えすに足る証拠もない。

(二)  右事実によれば、被告には原告との関係において責めらるべき点がないわけではないが、いずれも被告の知能の低劣さに帰因するもので、通常人の場合と同様にその行為を非難し得べきものでもないというべきであるうえ、原告が本訴を提起した直接のきつかけとなつた被告の原告宅を訪れた際の行動も長い別居生活中のわずか一度のことであり、被告がその際なした各行為の具体的理由ないし原因については必ずしも明確でないのみか(ガラスの破損については〈証拠〉によれば原告の対応に問題のあつたことが窺えないでもなく、〈証拠〉によれば被告が原告宅を訪れた際生じた悶着から原告も又暴力に及んだと認め得なくもない)、別居期間中あるいはそれ以前の原告の被告に対するやつかい者的扱いや冷淡な対応の仕方に前記行動を誘発する遠因がなかつたともいい難く、被告が原告の争いの相手である乙原と同居を継続し同人の側についたことも、従前原告と乙原とが内縁関係にあり被告にとつては乙原が頼るべき養母的存在であつたところに、原告と乙原との間に争いが生じたため、これにまきこまれた結果生じた事態にすぎないと見得るのみか、むしろ、乙原との関係が存したとはいえ、被告との関係では原告自ら別居状態を作出したともいい得べく、又被告の家出や原告に対する反抗的態度も、家出を除けば通常の親子関係に有勝なことであり、家出も被告のみのことでもないうえ、遠い過去の古い事実で今更取りあげるべきことでもないというべきである。しかして被告の知恵遅れについては、原告にとつても不幸な事柄であるとはいえるが、今に始つたことではなく、既に三〇年程も前に判明していることであり、その程度からすれば、教育、躾、訓練などによつて社会生活への適応能力を養うことは十分可能なものというべきである。しかのみならず、原告と乙原との前記認定の如き確執に鑑みると、原告が被告との親子関係の不存在を主張するに至つたのは、その直接のきつかけとなつたのは原告宅を訪れた際の被告の行動であつたにせよ、その根底においては、原告において乙原と被告を同一視し、乙原に対する憎悪感を被告の上にも投影させていたからであると認められ(原告が、被告は乙原に利用されており、同人との関係を絶てば被告を引取つてもよいとの意向を示したことのあることにも右の点は端的にあらわれている)、この点において被告に対する本訴の提起は、乙原との争いの一環としてなされたきらいがあるのみか、原告の被告に対する従来の態度及び次郎の場合との対比を考慮するときは、原告は、被告の心が原告から離れた原因を探求し、その関係改善に意を払うことなく、自己の被告に対する対応の仕方の不手際にも目をつむり、ただ自己にとつて不都合な知恵遅れのやつかい者として被告との関係を絶とうとするに急であるとの感を禁じ得ない。他方、被告は現時点で自立ないし自活することは困難であり、しかして実の両親を探し出すこともほとんど不可能な現状にあることは前記認定のとおりであるから、原告との親子関係を絶たれた場合には、被告はたちまち心のよりどころを失うとともに路頭に迷う結果ともなりかねないところ、被告の親としての養育に永年あたりながら、同人に対し自立のための方途を講じなかつた原告にも、被告の右の如き現状には一半の責任があるといわざるを得ない。以上によれば、原告の被告に対する本件親子関係不存在の確認請求は、実子として養育したいという善意の意図から出たとはいえ、養子縁組としての手続をとることなく、結果的には身分関係が不安定になる虚偽の嫡出子出生届を自らなしながら、後日右届出が虚偽であることを理由に、まさに「わらのうえから」被告を実子同様に養育し三〇有余年という永い年月にわたつて継続してきた事実上の親子関係を、破棄された場合には被告にとつては精神的及び経済的に生活の基盤を全く失うという重大な結果を招来しかねないにも拘らず、破棄するに足る正当な理由もないのみならず、自己の落度には目をつむり、他の第三者との争いを被告にも及ぼした形で、やつかい者を排除するようにしてなすものであつて、権利の濫用として許されないものといわざるを得ない。

(三)  以上の次第で被告の抗弁は理由があり、原告の本訴請求は排斥を免れない。

二反訴について

1  主位的請求について

原告とその妻亡三津江が昭和一八年四月他人の子である同月三日生れの被告を実子として養育すべく嫡出子として出生届をなし、以来三〇有余年被告を実子同然に養育してきたことは前記のとおりである。

ところで被告は右認定の如き嫡出子出生届に養子縁組届としての効力を認め縁組の効力を肯定すべきである旨主張する

なるほど縁組意思についていえば、他人の子を自己の実子として養育すべく嫡出子出生届をなし、現実に事実上の親子関係を形成した場合には、他人の子を実子として届出た者に養子縁組の意思を認めることは可能であり、代諾者のそれについても、代諾者の意思に反するなどの特段の事情の認められない限り縁組意思を推定して差し支えないといえる。しかしながら、養子縁組はその旨の届出をなすことによつて法律上の効力を生ずる要式行為であるから、虚偽の嫡出子出生届の養子縁組届への転換可能性を判断するにあたつては、養子縁組が要式行為とされた趣旨を慎重に検討して決する必要がある。しかして養子縁組の要式性は、創設される身分関係の公示とか実質的成立要件遵守の担保などを目的としているもので、右転換との関連でこれらの目的を具体的に見てみると、前者の目的との関係では先ず、(1)代諾縁組にあつては養子となつた未成年者に養子縁組であることを公示しこれを知らしめる必要があるところ、嫡出子出生届では未成年者にとつて後日自己が養子であることを知ることが著るしく困難となり、事実上離縁の自由を奪う結果ともなりかねない。又、(2)養子であることがその実父母の明示とともに公示されることによつて、近親婚の可能性など優生学上の問題を回避し得るし、更には、(3)右公示によつて養子に真実の親を知らしめる役割も果しているが、嫡出子出生届ではこれらの要求を満たし得ないことは明らかである。又後者の目的との関係では、(4)現行民法におけるように未成年者養子縁組につき家庭裁判所の許可を要件とする場合には、嫡出子出生届の養子縁組届への転換を認めると、右許可を潜脱することを認める結果となる。以上これら縁組の要式性のもつ諸目的を考慮するときは、虚偽の嫡出生届をもつて養子縁組の届出にかえることはできないものというべきである。従つて、他人の子を実子として養育すべく嫡出子として出生届をなした場合、以後の事実上の親子関係の存続という要件の具備を要求するとしても、縁組意思の転換は可能で届出形式の転換を肯定することは許されないと解されるから、虚偽の嫡出子出生届に養子縁組の効力を認めることはできないものというべきである。

もつとも縁組の要式性の有する右(1)ないし(4)の諸点については、被告において主張するような理由からどれだけの実質的意義を有するかは疑問であり、にも拘らず縁組の要式行為性を強調することは、いわゆる「わらの上からの養子」などの場合の当該子のおかれた立場に照らし、あまりに形式的で具体的妥当性を欠くとの議論は傾聴すべきであるが、前記諸点のうち(2)については可能性は小さいにしてもその結果の重大性から、又(4)については事後的なものでは(取消し得べき縁組の理論も事後的救済であることに変わりない)事前の後見的機能に代置し得ないという理由から、軽々に無視し得ないというべきであるうえに、理不尽な、あるいは不当な親子関係不存在の確認請求に対しては、信義則ないし権利濫用の法理を適用することにより、身分の安定性という点ではなお養子縁組の効力を認めることより劣るものの、具体的妥当性を図ることも可能である。

してみれば被告の反訴主位的請求は理由がない。

2  予備的請求について

予備的請求は本訴の認容を条件としているところ、これが棄却さるべきであることは前説示のとおりであるから、右予備的請求については判断しない。

三結論

よつて原告の本訴請求及び被告の反訴主位的請求はいずれもこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(園田秀樹)

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